透明になりたい旅鴉

ギター片手に国内外を旅する哲学徒の旅行記・雑記

大恐慌とかかあ天下

歌は世につれ世は歌につれ、という言葉がある。

歌の内容は世相を反映し、また世相も流行り歌の影響を受けて移り変わってゆくという意味だ。

経済が上り調子で景気が良いと種々の娯楽も勢いを増す。仕事終わりに飲み屋へ繰り出し酒をあおれば歌の一つや二つ歌いたくなるのが人情である。

もちろん人生は歓楽一辺倒というわけにはいかず、悲喜相混じるのが自然だから、悲しいときには悲しい音楽が必要だ。

歌は単に心の色合いを表すだけでなく、内容を伝えて人の共感を誘う。あるいは、歌を聞くことで、「そんなこともあったんだな」と他人の人生を追体験することができる。

かつそれは世相をも映すのだから、社会というマクロな視点からも、個人というミクロな視点からも、人間という錯雑した生き物を理解するのに格好の材料となり得るのではないか。

そういう前提の下で、今回タイムスリップする先は1930年代アメリカ、The Great Depression――大恐慌の時代である。

 

大恐慌とは、アメリカの株式市場の大暴落を発端に世界に波及した1930年代の経済恐慌のことを指す。

ダウ平均株価の急落が始まった1929年以来、1932年までの間に世界のGDPの統計は推計15%も減少した。

世界中で多くの失業者が発生し、工業に依存していた都市部はもちろん、農産物の価格が下落して農村も疲弊した。

 

この世界規模の惨事を準備したのは「狂乱の20年代(Roaring Twinties)」と言われるアメリカの性急な繁栄である。

第一次世界大戦で大きな損害を被った欧州への設備投資や、戦後好況による消費財の需要増など種々の条件が重なり、アメリカ経済は空前の速度で成長した。

「信用買い」という言葉が流行したのもこの時代の特徴で、元手を持っていない庶民も気軽に投資活動に参加するようになった。

アメリカ経済は成長し続けるという漠然とした期待感に誰もが浮足立っていた。なにしろ靴磨きの少年までが株式投資をしていたくらいである(注1)。

また、ジャズなどアメリカを代表する大衆文化が花開いたのもこの時代だった。

 

そんな時代だから、札束をチラつかせて女をたぶらかす成金がそこら中に現れたに違いない。

1943年に「スウィングの王様」クラリネット奏者のベニー・グッドマンが、北部出身の跳ね返り娘ペギー・リーをボーカルに据えて録音した「Why don’t you do right?(どうしてまともにやれないわけ?)」は、狂乱の20年代にそんな男に捕まった女が苦悩を愚痴にする歌だ。

 

You had plenty money, 1922
You let other women make a fool of you
Why don't you do right, like some other men do
Get out of here and get me some money too

1922年、あのころのあんたはお金を持っていたわよね。

それが今じゃ余所の女に馬鹿にされて。

他の男みたいにどうしてまともにやれないわけ?

早く出てってあたしにお金を持ってきて頂戴。


Why Don't You Do Right - Peggy Lee - Benny Goodman Orch 1943

 

この曲が初めに書かれたのは恐慌抜けきらぬ1936年で、実はタイトルも歌詞の内容も違っていた。作曲者は黒人のブルースシンガー、カンザス・ジョー・マッコイ。

当初の曲名は「The Weed Smoker’s Dream(マリファナ野郎の夢)」で、貧乏人のマリファナ吸いが、付き合っている娼婦や千金の夢について歌うというものだった。

公民権運動が始まるのはまだずっと後のことで、黒人は差別を受けて社会から爪弾きにされていた。それでもできる商売が麻薬の密売や売春だったというわけだ。

しかしどういう訳か、カンザスは歌詞を書き換えて女目線のものにした。それを初めて録音したのは、同じく黒人の女性ブルースシンガー、リル・グリーンだ。

ペギー・リーがこの録音をいたく気に入っているのを見て、ベニー・グッドマンが編曲を行いバンドのレパートリーに加えると、瞬く間に人気が出、レコードは全米で100万枚を売り上げ一躍ヒット曲となった。

 

映画「ステージドア・キャンティーン」(上の動画はその1シーン)には、不敵な笑みを浮かべて曲を歌うペギー・リーの姿が見える。

この曲が共感を誘った相手は、どうしようもない甲斐性無しと一緒になってしまった不運な女性だったのか、はたまた意外なところで、ペギーのような勝気な女性に尻に敷かれたい願望のあった男共なのか。

そんな想像をしてみるのも面白い。

 

注1:1928年のとある冬の日、第五代米国大統領ジョン・F・ケネディの父、ジョセフ・P・ケネディは、オフィスに向かう途中靴磨きに靴を磨いてもらっていた。

すると突然、靴磨きの少年から「おじさん、○○と△△の株は買っておいたほうがいいぜ。絶対上がるから」と声をかけられる。

「靴磨きの少年まで相場の話をしている、これは異常だ」と危機感を覚えたジョセフは、すぐに所有株を売り払い、暴落の難を逃れたという。