透明になりたい旅鴉

ギター片手に国内外を旅する哲学徒の旅行記・雑記

古代ギリシャの都市遺跡、エフェソスを訪ねる。第一部:リディア王のクロイソスの話と、豊穣神アルテミスの異形について。

 エフェソスは、アナトリア半島西部に位置する古代ギリシャ都市の名前だ。

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Ephesus (エフェソス)

 幼い頃からギリシャの神話が好きでよく読んでいた私は、トルコにいるのもいい機会だと思って、古代ギリシャの神話世界に浸りに、イズミル郊外に位置するその遺跡を訪ねた。結構な分量になりそうなので、何回かに分けて書こうと思う。歴史と神話の話が中心になるので、好きな人にはいいかもしれないが、興味がない人には少し読みづらいかもしれない、ということを予め断っておく。

 

 

 

 まず第一部は、エフェソスの歴史の概説、そしてクロイソスという一度この土地を支配したリディア王国の王の話、この都市の名が広がるきっかけとなったアルテミス神殿の話をしようと思う。

 第二部はエフェソスの都市遺跡を写真を交えて紹介。

 第三部は、キリスト亡きあと、迫害から逃れ、聖母マリアを連れてエフェソスにやってきた使徒ヨハネの話と、マリアが晩年を過ごしたと言われている家の跡地を訪ねたときの話をしようと思う。

 

  それでは第一部の始まり始まり。

 

 紀元前1100年ごろに、エーゲ海を隔てた向かいの国、アテネの王族出身のアンドロクロスが、新たな国を建てるのにふさわしい場所を聞き出すべく、デルフォイの神殿でアポロンの神に伺いを立てた。返ってきた答えは「魚と猪が標べとなるであろう」というものだった。

 ある日アンドロクロスは友人たちと焚き火をして魚を焼いていた。すると鍋から魚が躍り出て、同時に飛び散った火の粉が近くの茂みを焼き、野生の猪が飛び出してきた。彼はそれを追いかけ屠った。 

 アポロンの神託そのままに魚と猪が現れたことに納得したアンドロクロスは、その土地に自らの国を建てた。これがギリシャ植民都市エフェソスの由来である。

 

 しかしヘロドトスを始め、いくつかの古代の歴史家の言によれば、ギリシャ人たちが住まう以前、この土地には先客がいた。屈強な女戦士アマゾネスたちである。彼女らは男と暮らすことをよしとせず、戦あるいは子孫を残すといった特別な事情なしでは男と交わらなかった。エフェソスはもともとこのアマゾネスたちによって付けられた名前だという。

 ちなみにアマゾネスが住んでいたのは紀元前3000年ごろの話であり、紀元前1400年ごろには鉄器を用いたことで有名なヒッタイトが住んでいたことが確認されている。

 

 ギリシャ人の都市として繁栄を遂げたエフェソスは、紀元前6世紀クロイソス率いるリディア王国の侵略を受けた。リディア王国はアナトリア半島のほぼ全域を治め、様々な小国を統治下においた帝国でもあった。歴史上初めて貨幣を鋳造したことでも知られている。

 

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クロイソス王治世下のリディア王国の版図

 

 クロイソスはそのリディア王国の勢力がもっとも盛んであったときの王であり、いまだに英語では富裕な人を形容するのにas rich as Croesus「クロイソスのようにリッチだ」という表現が用いられるほど、豪奢な生活を送っていた。王国の首都であったサルデスでは、神殿は金で作られているほどであった。

 

 彼には一つ、トルストイも自著で取り上げた、よく知られた逸話がある。

 ある日クロイソスのもとに、アテネから学者として名高いソロンが訪ねてきた。遠方からの賢人の訪問に喜んだクロイソスは、自らの権勢と富を示さんとして大層豪華なもてなしをした。

 しかし客人はあまり喜んだ様子を見せない。訝しく思ったクロイソスは訊ねた。

「ソロンよ、貴君はこれまでに様々な国を旅してきたと聞いている。その中で、朕よりも栄えているものに出会ったことがあっただろうか。貴君はその有名な学識もさることながら、実際の見聞をも重んずる真の識者である。その貴君に問う、この世界で最も幸せな者は誰であろうか」

ソロンは謹厳実直で知られた人物である。余計な世辞は抜きに素直に意見を述べた。

「王よ、それはアテネのテラスにございます」

 当然自分がその答えであることを疑わなかったクロイソスは驚きながらも聞いた。

「なぜそう思うのか」

「テラスは貧しくも裕福でもありませんでした。がしかし彼の子はみな全て高潔で優れた人物となりました。テラスは自らの孫が生まれるのを見、老年に至って国のために戦い、全てのものから尊敬を受け、誇りのうちに戦死を遂げたのです」

納得しない様子のクロイソスだが、問いを続けてみることにした。

「ではその次となるのは誰かな」

「それはアグラウスに違いないでしょう。彼は自らの農園をとても気に入っていて、生涯を通し離れようという気を全然起こさなかった程です。彼はそこで、彼を好く良き友人たちと愛する家族に囲まれて一生を終えました」

 

 こんな調子で話は続き、ソロンはいつまで経ってもクロイソスの名を口に出さない。しびれを切らしたクロイソスはついに話を割ってこう言った。

アテネからの客人よ、貴君のせいで朕は混乱している。この栄えあるリディアの王であり、この世で肩を並べるものがないほど富を蓄えた朕が、貴君が今並べたただの凡人に過ぎないような輩たちに比べて、幸福でないというのか」

「おおクロイソス王よ、誤解なさらないように。私はただ真実であると確信できることのみを述べているに過ぎません。王が蓄えた富は人々の理解を超えるところであり、今日において、あなたほど人間が欲望しうる夢を叶えた人は、全世界を探しても見つからないでしょう」

ソロンは続ける。

「しかし、私はあなたと同じくらい富んだ者で、最も平凡で貧しい者よりも不名誉な死を遂げた人を知っています。王よ、人生とは不確かなもので、神々が明日我々にどんな運命を授けるか、知るものはありません。したがって、その人が幸福であったかどうかは、死を迎えるその時まで決定することができないのです」

 ソロンの含蓄深い進言は、栄華の真っ只中を生きる王の心には届かなかった。そのまま二人は別れ時は過ぎ、クロイソスはすっかりソロンのことを忘れてしまった。

 

 ある日、クロイソスの愛息子が狩りに出かけ怪我を負い、それが元で死んでしまった。悲しみに暮れた二年の後、キュロス二世が率いるアケメネス朝ペルシアの軍との間に戦争が起こる。デルフォイの神託を取り違えたクロイソスは、勝てない戦を勝てる戦と勘違いした。その結果、ペルシア軍は次々とリディア軍を破り、首都であるサルデスに侵攻。クロイソスは捕らえられ、都の広場には薪が組まれた。そして彼はその上で、今にも火あぶりにされようとしてた。

 王の胸中には様々な思いが去来する。朕が死んだあと、民は朕のことをなんと言うのであろうか。一時は世界の富を我が物とし、人が享受し得るあらゆる幸福に恵まれた朕が、息子も国も失い、今はこうして灼熱の炎に焼かれ、苦しみのうちに死んでいこうとしている・・・。

 突然、クロイソスの脳裏に一つの名が浮かんだ。彼はその名を、溢れる涙と共に叫んだ。

「おお、ソロンよ!貴君こそ真の賢者であった!ソロンよ!」

 ペルシア王は、クロイソス王のその悲痛な叫びを聞き、興味をそそられ、通訳の者に内容を聞いてくるように命じた。

「朕はただ、ある一人の賢者の名を叫んでいただけである。ソロンは朕に、朕の持っている全ての富と栄光を集めたよりも価値がある真理を明かしてくれたのだ」

 キュロスはソロンとクロイソスの間に交わされた会話について聞き、自分もクロイソスとなんら変わりないと思った。話に感銘を受けたキュロスは、火を消してクロイソスを救い出そうとしたが、火の手の勢いは止まず、哀れな亡国の王は焼き殺されようとしていた。クロイソスはアポロンの神に祈った。

 その時、晴れ渡っていた空には黒く分厚い雲が垂れ込め、突如誰も予想しなかった雨が降り、炎を消してしまった。キュロス2世はそれをアポロンの神の思し召しと受け取り、クロイソスを神に愛された徳者とみなした。伝えられるところでは、それからペルシアの王はこのかつての敵をご意見番として側近に置き、息子の代まで重用したという。

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薪の上で焼かれようとするクロイソス

 

 断っておくけれども、この話はエフェソスで起きた出来事ではなない。ここに物語を記したのは、エフェソスの歴史にかこつけて自分が好きなこの話を単に紹介したかったというのもあるが、エフェソスの歴史に大きく寄与をしたクロイソスという人のことを印象づけたかったからだ。

 

 ここエフェソスには、ギザのピラミッドやバビロンの空中庭園と並んで世界の七大不思議と目された巨大なアルテミス神殿があった。その起源は先にも述べたアマゾネスたちの母神信仰に遡ると伝えられ、青銅器時代(B.C3300〜B.C1200)には既に何かしらの建築物が存在したということが調査によって分かっている。クロイソスは紀元前7世紀の洪水によって崩落した神殿再建のスポンサーになったのだった。

 その後、紀元前4世紀、どんなことをしてでも後世に名を残したいと考えた一人の男が、神殿の木製部分に放火をした。神殿は破壊され、エフェソスの住人は彼を死刑とし、その名を書き残すことを禁じたが、テオポンプスというギリシャの歴史家が彼の名を自著に書いてしまった。それから、つまらないことをして獲得した名声のことを彼の名をとってherostratic fame「ヘロストラトスの名声」と呼ぶようになった。ちなみにサルトルは彼の話に着想を得て『エロストラトス』という短編を書いている。

 アルテミス神殿が火事で崩落したその日、後に大王として世界に名を轟かせるアレクサンダーがこの世に生まれ落ちた。アルテミスは、出産を助ける神としても知られており、アレクサンダーの誕生を助けていたがため自分の神殿を守ることができなかったのだと思われていたらしい。

 

 無事成長してマケドニアの王国を継ぎ、東征を始めたアレクサンダー大王はエフェソスを支配していたペルシア帝国を退ける。そして自らの誕生を援けてくれたアルテミスに兼ねてから心を寄せていた大王は、神殿再建のために寄進をしようとしたが、エフェソスの住人たちはその申し出を断ったという。理由は「神であるアレクサンダー大王が他の神の神殿を建てようというのは道理にもとるから」というものだった。当時の人々がいかに神という存在を捉えていたかということが伺える興味深い逸話だ。

   エフェソスの住民たちは自分たちの手で資金繰りをして、神殿を再建させた。その後600年近く損傷と修復を繰り返しながら生き延びてきた神殿は、紀元3世紀ゲルマン系のゴート人によって破壊され、キリスト教化していた当時のローマ帝国は注意を払わず、永遠に歴史の中に葬り去られることとなった。

 

 かくかくしかじか、長い歴史を経た現在のアルテミス神殿の姿はこれである。


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発掘された残骸を集めて建てられたたった一本の石柱だ。

 

 

 アルテミスは、アポロンの双生児であり、狩猟、貞潔の神だ。

 星座の中でもとりわけ有名なオリオン座は、もともとオリオンというポセイドンの子で、ギリシア随一の狩人であった。狩猟の女神であったアルテミスと意気投合し、次第に親密になっていったが、それをアポロンはよく思わなかった。アポロンはオリオンを嫌い、貞潔なアルテミスが男と関係していることにも我慢ならなかったのだ。アポロンは奸計によって、遠く海で泳いでいたオリオンの頭部を指差し、アルテミスに「あれを射ることができるか」と言った。それがオリオンであるとも知らず、戯れの腕試し程度に思ったアルテミスは、弓によってそれを撃ち抜いた。あくる日、浜辺に打ち上げられたオリオンの屍をみて、初めてアルテミスは自分が撃ち抜いたのはオリオンであったことを知る。その嘆き様を見たゼウスは、彼女をなだめるためにオリオンを天にやり、星座としたのだった。

 こんな悲恋物語めいたものもあるけれども、アルテミスは基本的にはその潔癖によって知られる女神である。自分に従っていたニンフ(乙女)がゼウスと交わったことに怒って熊に変えてしまったり、水浴中の裸を見られてその男を鹿に変えてしまったり。

 男をケダモノ扱いにして歯牙にもかけない、そして周りにはほとんど恋愛めいた憧れをもって付き従う後輩女子の取り巻きがいる。今でも女子校なんかにいそうなタイプの女子である。

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一般的なアルテミスの像

 

 だがそんなアルテミスも、ここエフェソスでは少し違った象徴性を帯びて信仰されていた。その姿がこれだ。

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 この像は、先に述べたアルテミス神殿の跡地から出土したものではなく、近くにあったエフェソスの都市の遺跡から発見されたものである。遺跡を案内してくれたガイド曰く、神殿まで行くのをめんどくさがった貴族たちが代わりに拵えたものだという。異形もいいところで、グロテスクと言ってもいいかもしれない。

 胸部から腹部にかけて垂れ下がっている夥しい数の卵型の物体は、当初は乳房であり、アルテミスの豊穣性を強調するものだと言われていた。しかし最近ではそれは誤った解釈であり、当時同じく豊穣性を象徴しており、供儀の対象となっていた牛の睾丸であるとも言われている。皆が一致する見解は未だないらしい。

 頭部から足元に向かってたくさんの動物の姿が彫られている。鷲、ライオン、豹、山羊、鹿、牡牛、蜂。これらの意匠は、森を駈ける獣たちの女神の側面を表している。

 こういった豊穣性を極端に強調する姿は、もともとアナトリアで信仰されていた地母神、豊穣神であるキュベレと習合した結果であるとも言われている。彼女はディオニュソスにワインの作り方や密儀を教えた神としても知られている。

 素朴で潔癖な村娘のような容貌で描かれることの多いアルテミスが、風土の影響を受けるとこんな風に姿を変えてしまう。

 

 実際に対面してみると、高さは2m以上はあったように思うが、かなり迫力があって、畏怖を感じる。インドにも戦女神ドゥルガーや、その変形である狂気のカーリーなどがいるけれども、やはりちょっと比べられるような感じではない。もっと厳粛で、どこか男性的な雰囲気も感じられる。

 地母神というと、柔和な母としてのイメージ、あるいはその正反対で、血なまぐさい、もっと混沌とした雰囲気を持っているイメージがあるけれども、このアルテミスは一見、どちらにも当てはまらないような気がする。実際にこの世にいたのなら、卑弥呼のようにシャーマンでありながら、リーダーシップをもって一つの国を率いていたかもしれない。

 私は歴史や神話学の専門家ではないから、あんまり根拠のある話ではないけれども、アルテミスがこのような姿になったのは、かつて女性が社会の中心でリーダーシップを取っていた、それこそアマゾネスだったのかもしれないが、そういう共同体が持っていたイメージの名残から来るのではないかという気がした。

 

 

 ディオニソスが東からやってくるように、ギリシャの人々にとっても、アジアというのはどこか混沌としたイメージを持って認識されていたようだけれども、このアルテミスの姿も、アテネの人たちを驚かせていたに違いない。

 インドでは死を司る神で、畏怖の対象であったマハーカーラが、日本では豊穣神となって、好々爺の姿で描かれる大黒天となった。同じ一つの神格が、異なる風土に出会うと、こうも形を変えてしまう。このアルテミスの像も、そうったシンクレティズムの一つの好例で、とても興味深かった。

 

 

 

続編、第二部に続く。